読書の形態について。
図書館で本を借りたり、本屋で購入するよりも
もっと手軽かつ無銭で行える方法がある(図書館はお金かからないけど)。
それはその辺の雑誌や新聞に目と通すことである。
投げやりに言っているのではなく、興味や関心を広げたり深めたりするには、
その辺にあるものを適当な気持ちで目を通すくらい緩い気持ちが最適なのだ。
例えば、花の展示即売会が近くであるとする。
行くのはタダで、家からも近い。会社帰りに寄る事も出来る。
なんとなく頭に入れておいて、すっかり忘れてしまう。
後日会社帰りに唐突に思い出す。
なんとなく寄って見ると、興味を引くものがある。
そこには花の育成の方法や、作家のコメントや、次回展示の案内なんかが置いてある。
なんとなくそれを持ち帰って、なんとなくして忘れていしまう。
だがまた事あるごとに思い出し、その時手元にあったチラシに目を通す。
このとき既に、関わったものに浅くではあるが興味が広がっている。
その時々で忘れてしまっても、機会を得て鮮明に思い出す。
そして行く先々には別の情報が置いてある。
情報は次から次へと繋がっていき、些細なことでも関わりを持てば
本人の中に残る。
途切れることの無い情報を渡り、蓄積し、自分の血肉にする。
文字を追っていくだけですら、能動的な読書である。
今はネットサーフィンで次から次へと伝播していくが、
そこに自分の“足”を足すと体験が強くなる。
近所の、ほんの近場で良い。
居酒屋の手書きメニューだったり、終末思想の新聞でも良い。
どこにでも入り口はあり、簡単に深く広く入っていける。
気にかけるだけだが、よい読書の始まりにはなると思う。
まだ夏だけど。
2015年08月30日のエントリー
読書の秋(残暑) 見て歩く
2015年08月30日 · コメントは受け付けていません。 · 季節のコラム
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